シンポジウム後に、各登壇者が集結
刺激溢れる講師陣の言葉に注目が集まる
◆登壇者紹介◆
司会/笹倉榮人 株式会社ALTURA代表取締役
参加者/
・河合麻美 NPO法人ReMind代表理事/リバビリママ&パパの会代表
・山田理早 助産師/保健師/看護師/心理カウンセラー
・祝 広孝 医療法人曽我病院リハビリテーション診療部部長、体表解 剖学研究会理事
・山端二郎 パームスオステオパシックカレッジ学長
・中村邦人 BODY THERAPY Lax代表
・菅原優帆 理学療法士
・野坂和則 オーストラリア・エディスコーワン大学教授
・矢野和也 株式会社ALTURA取締役 理学療法士
・安田彩夏 株式会社ALTURA 理学療法士
Vol.1 シンポジウムの感想
〜女性の働き方について〜
笹倉/
「看護師と理学療法士が語る、女性の働き方」でご登壇いただきました河合先生と山田先生の白熱したやりとりに非常に引き込まれてしまいました。
河合先生、オンラインでのシンポジウムはいかがでしたでしょうか?
河合麻美(以下河合)/
少し緊張しました。
実は、最初は若い世代とギャップを感じるかと心配でした。
娘にも「ママは昭和だ」と言われていますから(笑)。
でも、根っこで感じているものは共通していました。
セルフマネジメントでも年代に関係なく協力していけるのではないでしょうか。
笹倉/山田さんはどうでしたか。
山田理早(以下山田) /
本日は、お誘いいただきありがとうございました。
全国津々浦々、いろんなところに住んでいる方々がわざわざ足を運ばずにオンラインで簡単につながれるのは、新型コロンウイルスのポジティブな面なので、ある意味、ありがたいと思っています。
病院ではなく、外部で幅広い職種の方と交流できるので、今後もこういう機会をいっぱいつくってくださるとすごく嬉しいです。
笹倉/
せっかくの機会なので、女性の働き方で男性に知っておいてほしいところをお伺いしたいと思います。男性たちは耳が痛いかもしれませんが(笑)。山田さん、いかがですか。
山田/
女性は共感の生き物です。
女子会はあっても男子会はまだまだ多くありません。
話しながら「自分の悩みはこれだったんだ」と自己完結している女性も多いです。
だから、タイムカードを切るレベルで聞いてあげてほしいと思います。仕事の一環となると大変かもしれません。
だけど、おそらく話ながら勝手に自分で解決していきます。
問題解決型の提案をしたい男性も多いと思いますが、グッと我慢して聞いてあげてください。
笹倉/
ありがとうございます。
今、野坂先生が参加してくださいました。
野坂先生、簡単に自己紹介をお願いします。
野坂和則(以下野坂)/
今日、全部とはいかなかったのでのですが、若手の対談と女性の鼎談は拝見しました。
オーストラリアでは今、男女平等が言われています。
男女それぞれが面接に来て同じ能力なら女性を採用しろという風潮もあるくらいです。
現在、管理職は7:3で男性が多いですが、それもこれから10年くらいの間で5:5にしようと動いています。
一方で、女性は女性なりに、いろいろな人生設計があります。
なので、機会に対して、どれだけその人が貢献できるかで見ようとなっています。
例えば、ある期間、育児でキャリアが抜けていても、それはそれで構いません。
私も新しい人材を採用する立場にいます。
でも、男性と女性を比べるのは、いろいろと難しいことが多いです。
そもそも女性は論文数が多くありません。
なので、ブランクの時期を除いて比べたらどうかなど、判断の仕方を勉強しています。
私たちと同じ立場に女性を入れていくとすばらしいものが生まれるでしょう。
僕よりも若い世代のディスカッションを聞いて今後がとても楽しみです。
笹倉/ありがとうございます。今、祝先生も来てくださいました。祝先生、オンラインセミナーはいかがでしたか。
祝広孝(以下祝)/慣れないですね(笑)。
今までface to faceのセミナーばかりやっていましたから。
今回、こういう形式でやらせていただきましたが、新しいスタイルだなと思いました。
これからの可能性として、新しい伝え方の勉強になります。
笹倉/理学療法の技術や温度感などは画面では分からないことです。
それをどう伝えていくかは、今後のオンラインの課題だと思います。
笹倉/
今度は男性側からも意見を聞きたいと思います。今日、女性の視聴者も多くいるので、男性の考えも伝えられたらうれしいです。
矢野さんからお願いしてもよろしいですか。
矢野和也(以下矢野)/
男性は夢見るところがあると思います。
女性は現実的です。
その折り合いが難しいなと感じています。
例えば、女性は男性が夢を語るとき、どういう風に思っているのかということを聞きたいです。
笹倉/河合先生、夢を語る男性はいかがでしょうか。
河合/
逆に私は夢を持っていない男性は嫌です。
女性も同じですね。
夢を持っている方の方が素敵だと思います。
あまりにも無謀だと考えものですが(笑)
笹倉/ありがとうございます。祝先生はどうですか。
祝/
うちの職場にも女性の職員がいます。
昔、男性の方が扱いやすいという先輩がたくさんいました。
女性が辞めた後、男性を雇うことも多かったですね。
僕の場合、あえて女性を採用することにこだわっています。
女性的な視点と男性的な視点は違います。
男性だけになると女性的な視点に欠けてしまい、逆に女性がいると男性の気がつかないところまで目が行き届くので、両方を生かせる現場にすることが大事なのではないでしょうか。
今、僕は女性スタッフに結構怒られていますね(笑)。
適当なことをやっているとシメてくれるので頼もしいです。
年齢が上がれば上がるほど、女性は厳しくなります。
キャリアのある女性は重要な人材だと思います。
笹倉/ 患者さんも女性の割合が多いですよね。
そういった意味でも、セラピストにとって女性の視点は欠かせません。今日、最後のセクションを聞いて、あらためてそう思いました。
これからの組織づくりという点でも重要だと思います。
Vol.2 講師同士の疑問に迫る
〜講師が積み重ねてきたキャリア〜
菅原/祝先生にお話をお伺いしたいです。
私自身、理学療法の未来のために、業界に一石を投じたいと思っています。
これまで祝先生が大事にされてきた実践法やキャリアの積み重ねなどをご指導いただけたらうれしいです。
祝/あんまりそういうのはないかもしれません。
私が今、こういう風に講師活動ができているのは、あくまでも呼んでいただけているからです。
もともと講師活動を始めたきっかけは体表解剖です。
体表解剖の講師をやる中で回数も少なく、受講できる方も多くなかったので、「もっと講義をしてください」となり、回数が増えていきました。
同時に、テクニック的なところを講義できる段階になって、どう臨床に使うかも話し出しました。
周りのニーズがあって機会をいただきながら、出番が増えていった流れです。
やはり技術や知識は講義だけではなかなか伝わりません。私も師匠がいて、就職したときからずっとお世話になっています。
その方も言っています。「結局は人間力だ」と。
でも、人間力を教えるのは難しいことです。やはり思考です。そこもしっかりと合わせて伝えていかないといけません。
同じものを見ても、皆、見え方が違うわけです。
私のセミナーの時にはどういう視点で捉えるのかという前提となる自分の脳内も伝えています。
そこを伝えていかないと、結局は何か勉強して賢くなったで、終わってしまいます。知識も技術も道具です。
なぜその道具を使うのか。どこで道具を使うのかを教えないと行けません。
よく使う例なのですが、3歳児にいきなりかなづちと釘を渡すと、打ち付けるのが楽しくてあたり構わず釘を打ち付けてしまいます。
理学療法の業界でも同じようなことが起きていると思います。
基本を理解せず、どういうベースの上に成り立っているのか分からないまま行って、結果が出ずに放り投げてしまいます。
そして、また別の知識を学ぶといった方も少なくありません。
それではまるでジブシーです。
私は軸として解剖学がまず大事だと伝えています。MCPはベースです。それがあれば、いろいろなテクニックを学んでも吸収できます。
まずは考え方が大事です。
整備工場に車を持っていったとき、整備士が車の構造を分かっていなかったら預けないでしょう。
基本として解剖と、自分が触ったものが何か分かるということは大事です。それを伝えた上で、技術を教えるスタンスを大切にしています。
「これをやったら治りますよ」ということは言いたくありません。
「〇〇の疾患に効くアプローチは何ですか」と聞かれるのが一番嫌です。「場合によります」としか答えられません(笑)。
今、業界に思っていることは、とにかく理屈に走ることです。また、指導者が学生なので、学生の頭になっています。臨床で大切なのは人間力です。それを踏まえて臨床を教えるべきです。
ここ最近、正解を後輩に求め過ぎです。理屈っぽくなっています。
学位を取りに大学院に行った人が5年目、10年目で指導者になっているので、臨床ではなく学校になっているのではないでしょうか。
そこが問題だと思います。そこを崩していくのが私の役割です。
菅原 /貴重なご指導ありがとうございます。
野坂/祝先生のお話の最後に技術が重要とありました。
私は運動生理学、スポーツ科学などを研究しています。
面白い現象を科学的に見ると分からなくなります。
ある程度は追求できるんです。でも本当のところは分かりません。
筋膜の動きを超音波で捉えたとします。実際、捉えることができますが、実際にその理屈は分かりません。
だから科学で説明できる範囲は限られています。
でも、実際に治療をすると痛みがなくなったりします。
やはり事実はとても重要です。科学には限界があると感じています。
〜女性がいる組織のマネジメント〜
笹倉/ 中村さんから河合先生にご質問があるそうです。
中村 /
ざっくりとした質問なんですが、男性だと「これやりたいです」という意見がすぐに出てくるのですが、女性からはなかなか聞き出せません。そういうところでのマネジメントで心がけていることを教えていただけたらうれしいです。
河合 /昔読んだ本に、男性に比べたら女性の自信は2割少ないという科学的な実験が掲載されていました。
例えば、同じ大学で同じテストを受けたとします。
「出来はどうでしたか?」と尋ねると、男性は過大評価しがちです。
だけど、女性は2割減で、8割くらいしかできていないと思っています。
さらにテストを受けた人に「結果を踏まえて出来るチャレンジがありますが、やりますか?」と質問したところ、男性は「やります」と答えるものの女性は「やりません」という選択をとってしまいます。
要は、全てが悪循環です。
私自身、そのエピソードを読んでとても納得しました。
経験上、そうではないかと感じることがたくさんありましたから。
あるとき、産婦人科の先生からは女性のホルモンバランスが自信に影響をしているという指摘もありました。
2週間ごとに浮き沈みがあるので、精神的な波もやってきます。
調子がいい時にはできそうでも、2週間後には自信がなくなってしまうことも珍しくありません。
女性は全員、そういうメカニズムを持っていて、やる気がないとか夢がないわけではありません。
だから個別で聞いてあげください。
今、取り組んでいることを承認した上で、「君だったらできると思うから、何かアイデアがないかな」と言ってもらえたら話やすいのではないでしょうか。
例えば、男女30人で会議をしたら、まず女性は発言できません。
男性が多ければ多いほど、女性は発言できないでしょう。
だけど逆に、男性は大勢の女性に囲まれても同等に発言できます。
だから女性は後から言う傾向が強いです。
会議が終わってから、「ああだよね」「こうだよね」と言いに来たりします。
でも、勇気がなかったり、自分の答えに自信がなかったりするだけで、何も考えていないわけではありません。
個別に聞いてあげる配慮をお願いできればと思います。
中村/
以前、勤めていた職場が女性スタッフの多い環境でした。
管理者をしているスタッフとはミッションが一緒なので同じ方向を向いて仕事に取り組めましたが、育成にはとても苦戦しました。
なので、今日、河合先生の話が聞けてよかったです。
ありがとうございます。
笹倉/
エストロゲンが高い人は長い目で物事を見るというデータもあります。それも関係しているかもしれません。
ホルモンバランスで性格が変わるというデータもあります。
そういった観点から捉えるのも面白いと思います。
中村 /新しい視点で面白いですね。ありがとうございます。
河合/自信のあるなしは、遺伝子レベルで組み込まれているという話もありますね。
ポジティブな現実をポジティブに受け取れるかどうかも、ある程度、遺伝子が関係しているそうです。
だから男女だけでなく、個体差の影響も大きいかもしれません。
中村/東北の人は男女問わず前に出たがりません。
私自身、こういう場にまだ慣れていません。
それでも地元の皆でセミナーを開催しているので、今のアドバイスを参考にしながら引っ張っていけたらと思います。
〜リーダーになったきっかけ〜
笹倉/せっかくの場なので、皆さんにご意見をお伺いしたいと思います。
自分がリーダーになるきっかけをどう掴んだのでしょうか。
「自分の人生はこれだ」と哲学を持っている人は強いと思います。
ホメオパシーも哲学です。哲学なのでブレることがありません。
それをどう築き上げてきたかを教えてください。
野坂/今の質問の答えではありませんが、オーストラリアの面接では「あなたは何で有名になりたい」といきなり聞かれます。
そのときは自分が有名になるとは思っていなかったので答えられませんでした。
でも、自分が何で有名になりたいかは常に考えた方がいいです。
別に世界や日本というレベルでなくても構いません。
本当に小さな社会でもいいと思います。
この社会、この地域に役に立っているという実感がないと寂しいです。私はその面接を通して、専門分野である程度は名前が通っているようになりたいと思いました。
また、その時、5年後はどうしたいのかも聞かれました。
私の契約は3年間のポジションです。
だから3年分しか考えていませんでした。
それをきっかけにして、自分の将来を5年くらいの単位で考えるようになりました。
リーダーの話に戻ると、こちらでは少しでも何かができるとリーダーに抜擢されます。
リーダーになることで人が磨かれていきます。
少し前、自ら立候補して、若い助教授が学部のリサーチリーダーになりました。
すると一年が経つ頃には、格が出てきます。
周りから見ても風格が出てきて、誰がどう見てもリーダーです。
ポジションが人を作っていきます。
「自分にできるかな」と尻込みしていないで、チャンスがあったら手を上げる姿勢が必要だと感じました。
笹倉 /海外の方が、そういうサイクルは早いですか。
野坂/ オーストリアの人は、小さなものを大きく見せるのが得意です。大したことをしていなくても、すごいことをやっているように見せます。
だけど、そう見せていく中で、不思議と大きく成長します。
その発言に合わせて努力をするようになるのです。
笹倉/自分にあえて負荷をかけるやり方ですね。
野坂/ええ、日本はどっちかと言うと、「能ある鷹は爪を隠す」ことを美徳にしています。
努力をしていても、それを見せなかったりすることも少なくありません。
私自身、オーストラリアに来て、その考えが変わりました。
自分の能力があったら積極的にアピールする。
その上で貢献できる仕事を見つけていくことが重要だと思います。
〜Q&A 理学療法のエビデンス〜
笹倉/皆さん、Q &Aを見てください。質問が届いているので、読み上げます。
「日本の理学療法は学術的なデータを参考に治療せず、〇〇の先生の経験に基づいた主義に走ってしまうことが多いような印象です。
また、医療は科学的なエビデンスが大事ですが、理学療法はエビデンスが浸透していません。
世界の研究論文は日々アップデートされているのにもったいないと思います。皆さんは、どうお考えですか」とのことです。
いかがでしょうか。
祝 /一緒ではないでしょうか。
結局、「誰々先生が言っている」も「エビデンスがある」も言っていることは一緒です。
先ほど、事実を解明していこうとすると、行き詰まるという話がありました。
私が就職した頃は、学会発表や研究をやれと言われても、まだ全然何も分かりませんでした。
30年前ですから、私もまだまだ未熟です。
先人の先生たちがたくさん文献を出していて、全て調べ尽くされてしまい、いまさら研究することなんてないと思っていました。
でも、年齢を重ねていくと、全然まだ分かっていないことばかりで、人間のことは何も分かっていないと思うようになります。
だから、目の前で起きた事実を、ただエビデンスがあるというだけで否定していくのは愚の骨頂です。
結局はエビデンスが大事だと思います。
世の中の流れ、世界の流れがそうなっているので、おさえておかないといけないのかもしれません。
でも、目の前で起きたことをエビデンス的に否定していくということはあってはいけません。
特に最近、理学療法の団体でその傾向が顕著です。
学生の話を先ほどしましたが、目の前で患者さんを良くしているにもかかわらず、「その根拠は何?」と問われてどんどんと追い詰められてしまっています。
結果的に患者さんを良くしたいという思いも無視されてしまいます。
バックグラウンドがないと、それをよしとしてもらえない風潮があるのです。
そういった状況が現場に根付くと、患者さんがいる場所なのに皆で理学療法ごっこをやっている感じです。
お互いに知識をぶつけ合あって意見を交わした結果、最終的に「なかなか難しいよね」という議論で終わります。意味がないディスカッションです。
だから目の前で起きたことを私は重視しています。
野坂/重要なのはエビデンスが何かです。
例えば、論文にあるエビデンスは被験者を限定的に10人集めてきて、統計的に有意があったかどうかを検討することが多いです。
その時に統計的には本当に優位さがあっても、生理学的に人間の生活を見たときに、意味がないこともたくさんあります。
だけど逆に、統計的に優位さがなくても非常に重要なこともたくさんあるのです。
エビデンスとは何かと言うと、もっと違うところにあります。
だから、科学的な論文だけでエビデンスは決められません。
学生が実験したデータで平均と標準偏差を見せてきたら、「個々を見てみろ」といいます。
統計で出た結果が個人個人に全部当てはまっているかどうかをチェックしなさいと必ず言うんです。
多くの場合、個人個人には当てはまりません(笑)。
そしたらその結果は何かとなって、振り出しに戻ります。
笹倉/ 山端先生、オステオパシーの世界ではいかがでしょうか。
山端/
徒手療法にエビデンスはあり得ません、研究室で数字を出して科学的な検証に基づいたものをエビデンスと言います。
皆さんが言っているエビデンスは臨床データに過ぎません。
時代背景や地域性、心因的なものも含めて臨床データは出されます。
研究する人によって答えが違うはずです。
だから人によって視線も変わり、答えも変わります。
誰もが同じ検査をして同じ答えが出たらエビデンスとして捉えればいいのではないでしょうか。
エビデンスばかりを考えるやり方は研究室で勉強していく人にとってはいいことかもしれません。
だけど、臨床においてエビデンスは必要ありません。
エビデンスは結果論です。
例えば腰痛がなくなったとします。
でも、症状が消えただけで、科学的なデータが出たわけではありません。
血液の陽性反応が消えたとかなら分かります。
理学療法で見られるかといえば、それは見えません。
昔カイロプラクティックは、レントゲンやMRIの結果をみながら治療をしていました。
でも、科学的なものではなく反応です。
椎間板が突出していたが、ボリュームがなくなっている。
神経圧迫がなくなって筋力が回復した。
そういう症状が現れたとしても、その時だけの作用である可能性もあります。
エビデンスを出すのなら、生涯にわたってみていかないといけないのではないでしょうか。
しかし、理学療法で検証しようと思っても、すぐに退院しないといけない状況です。
しかも、その日のデータではなく、2週間後にどうなっているか、1カ月後にどうなっているかと予測を立てて、患者を教育しながら治療しています。
徒手療法は自然です。
薬を使うわけでも、電気使うわけでもありません。
エビデンスを大切にしないのはもったいという考え方自体理解できないです。
笹倉/
東洋と西洋の考え方の違いもあるとは思います。
シーンでエビデンスをどう捉えるか。
皆さんが考えるべきかもしれません。
私は、エビデンスが良いなら良いと思うし、どこかの先生が言った通りに治療して患者さんが良くなれば、確かなエビデンスではないでしょうか。
祝先生もご指摘されていましたが、ただ単に文面を信じたり、論文を信じたりするのではなく、現象を見ていく中で研ぎ澄ましていくことが重要だと、今日の議論を聞いて思いました。
今日は参加していただいて本当にありがとうございます。
長い時間お付き合いいただいた視聴者もたくさんいます。
とても濃い一時間になりました。
本シンポジウムには学びのきっかけを提供したいと思っている先生方が集まっています。
たくさんの考え方に触れて、多角的な視点から学べる場所はほとんどありませんでした。
だからこそ、同じ業種だけに絞らず、今後も、フラットに届けていく機会をつくっていきたいと考えています。
今日は、本当にお時間をいただきありがとうございました。