来歴
普段の活動
オーダーメイドインソールを世界に広めるための仕組みを作るプロジェクトを会社として取り組んでおり、経営の全てに関わっています。また、オーストラリアにスポーツ留学等で来ているトップ選手のスポーツトレーナーをやったり、自社のクリニックで自由診療にて治療等を行っています。
この業界の問題・課題点
頑張っても報われづらい制度。セラピーをセラピーのままで終わらせてしまう体質。日本のセラピストは世界に比べてとても能力が高い。もっと広い世界で活躍できる仕組みと、成功したら報酬が得られる制度ができれば日本はかならず変わる。
今の仕事を選んだきっかけ
親戚に看護師が14名ほどおり、両親も看護師です。白いケーシーで仕事をする父親の姿、病院の少しドキドキする匂いや雰囲気が大好きで、病院で働くこと以外頭にありませんでした。バスケ馬鹿だったこと、昔から理屈臭い少年だったこと、父親が整形外科病棟に所属していたことから、父親の勧めで理学療法士を選びました。
数年間理学療法士として一生懸命働いても、博士号を取得してもお給料は他のセラピストと変わりませんでした。むしろ、子供の保育園のお迎えで必ず18時20分には病院を出なくてはいけなかったので、あらゆる時短、効率化を意識し仕事をこなした結果、ゆっくり残業をする後輩より安いお給料でした。その環境がどうしても私には許せなかった。そのまま仕事をしてもお給料は同じ、チャレンジして仮に失敗して、病院に戻ってきてもお給料は同じ。多くの人は退路を断ってチャレンジをしている中、自分は国家資格を持っている。戻ってくる場所が既に用意されている。
私にチャレンジしない理由はありませんでした。
家族を連れて知り合いが一人もいない、かつ、仕事が決まってもいないオーストラリアに突撃移住し七転八倒の末、会社を設立。
現在もチャレンジの継続中。
そこからなぜ、専門分野を学び始めたか
小学校4年生のとき怪我をし、当時診てもらっていたDrにインソールを入れてもらいました。PTとして病院に入職すると、作業場に、なんと、私が当時入れてもらっていたものと全く同じインソールを作る環境がありました。あのときの感動は忘れられません。その日からインソールについてかじりつくように勉強し、臨床で用いていました。途中、当時勉強していたバイオメカニクスの考え方がインソールを作製する際に大いに役立つことに気づき、そこからさらにのめりこんできました。
その道を選んで苦労したこと、逆に楽しかったこと、感動したこと
インソールをどうやって世界に届けるかを毎日考えています。常に問題は山積みで苦労がない日はありませんが、一つずつ解決され、商品として出来上がっていく過程は我が子の成長の喜びや感動に似ています。
バイオメカニクスは全て数値としてデータが得られるからこそ、データで矛盾なく論理展開をする必要があります。院生時代はそこにとても苦労しましたが、全てが会社経営に活かされていることを実感しています。
この業界の役割・使命、また今後の計画は
①インソール事業を成功させて、日本の理学療法士がプロデュースするインソールが日本をはじめ世界中で使われるようになり、多くの人々の痛み軽減、予防医学に貢献すること。
②セラピストの開放(開業権獲得)。今の事業を成功させることができたら、その次はセラピストを開放させるための活動をすることです。
ターニングポイントと感じる出来事
一番初めのターニングポイントは博士号取得です。博士課程では、正直死ぬかと思いました(過労死)。自分が死ぬと思いながらもやり抜いて、結局死ななかった。「あれ、俺死ななかったな」とふと思ったことを良く覚えています。まだまだ自分にはやれることがあるのではないかと強く感じました。そのことが子供が2人いながらも海外に飛び出す自信につながりました。海外に出てからはターニングポイントがあり過ぎて、ここには書ききれません。いつか飲みながら話しましょう。
望む業界の未来
国民がセラピーをもっと受けやすくなる制度が整っている未来。予防医学が当たり前に根付いた未来。「社会インフラとしてのセラピー」にまで存在価値が上がった未来。
仕事以外の時間の過ごし方
休みの日は家族となるべく過ごすようにしています。歌をうたうことがとても好きで、日本では一人カラオケで5時間くらい軽く歌ってストレス解消していましたが、オーストラリアにはカラオケが非常に少なくもんもんとした日々です。
人をみるとは