来歴
普段の活動
医師として:週4日勤務の常勤で麻酔科および訪問診療科を兼任、勤務日のオンコールあり。
ピラティスインストラクターとして:インストラクター養成時代からの友人のスタジオで月に2 日程度インストラクター兼メディカルアドバイザーをしています。この11月から地元に新設されるスポーツクラブでピラティスのグループクラスを週に2コマ担当することが決まりました。
この業界の問題・課題点
色々とありますが、やはり医療費が安すぎることが問題の一つではないでしょうか?薬を処方したり、何らかの処置を行わないと十分な診療報酬が生じないシステムでは、医療者側も止むを得ず、そうせざるを得なくなってしまっている部分もあるのではないかと思います。 また、医師が患者に専門的な分野で関わるのは、その人の病歴の線の上の小さな点に過ぎないことが多いのに比べて、理学療法士を含むセラピストは点と点をつなぐ重要な役割を果たしていることへの認知度をもっと上げるべきだと思います。
今の仕事を選んだきっかけ
小さい頃に身体が弱く、しょっちゅう熱を出していました。かかりつけのクリニック独特の消毒薬の匂いや綺麗に積み重なったガラスのシリンジや包帯、飾ってある人体模型や解剖の図など、いわゆる「病院」の雰囲気が大好きでした。幼稚園の頃から家庭医学全書の解剖のページを繰り返し見たり、ぬいぐるみに包帯を巻いて遊んだりなど...卒園式の時に書いた将来の夢は「お医者 さんになること」でした。小学生の時に「ブラックジャック」を繰り返し読み、中学生の時には雑誌「NEWTON」に特集されていたDNAの螺旋構造に感動したことを覚えています。もしかしたら、医師になって、人を救いたいという気持ち以上に、人体や医学のアートとしての要素に魅 かれたのかもしれません。
そこからなぜ、専門分野を学び始めたか
麻酔科を選んだ理由:5回生の時の外科の講義で講師の先生が「実は、我々外科医がいくら手術をしたいと言っても、麻酔科医の協力がないと出来ないんですよ。患者さんの状態によっては、 断られることもあります。」と言われた時。学生だった私は、単純に「え??!!麻酔科って、そんなに凄いの?」と俄然興味を持ちました。実際に臨床実習で麻酔科を回った時に、卒業したばかりの若い先生が1人で麻酔管理をしている姿に凄く憧れました!麻酔科では、救急の場面においても直ぐに役に立ちそうな技術が、努力次第では早い段階で身につくような気がしたこと が、麻酔科を選んだきっかけです。
ペインクリニック、緩和医療を学んだ理由:29 歳で長女を出産した後は、常勤麻酔科として夜間 のオンコールに対応することが困難になりました。出産直前まで勤務していた病院には、併設の保育園がありましたが、「看護協会の資金で設立した保育園だから」という理由で、医師の子供は受け入れてもらえませんでした。そんな社会的事情もあり、麻酔は非常勤として細々とキャ リアを継続することになりました。その頃、大学のペインクリニック分野には個性的な先生が沢山おられ、雰囲気がとてもよく、子育て中の私でも快く受け入れしていただいたので、外来で研修を受けながら、診察を担当することになりました。 また、症状としての「痛み」を取り除くことが、患者さんの QOL を上げることを間近に感じることができたので、自然と緩和医療にも興味が湧きました。大学病院にペインクリニック研修に来られていた先生が他病院の緩和ケア病棟の立ち上げに携わっておられたこともあり、自分の空き時間を使って、その病院で研修を受けることにしました。
その道を選んで苦労したこと、逆に楽しかったこと、感動したこと
苦労したこと:やはり、子育てをしながらのキャリア継続、この一言に尽きます。麻酔科専門医の試験を長女が 1 歳の時に受けて、専門医の資格を取れたのですが、その後直ぐに長男を出産したこともあり、5 年毎の資格更新のための基準が満たされず、専門医の資格を維持することができませんでした。現在は、女性医師がキャリアを継続しやすい環境が整ってきましたが、私が子育てし始めた1990年代の後半頃は、「子供を産んだ女医は使えない」そんな環境だったのです。
楽しかったこと:前述の苦労したことの反面、大学病院やその関連施設で手術麻酔や麻酔のオンコールにガッチリと縛られることなく、ペインクリニックや、緩和医療はもちろんピラティスも自分の興味があることを好きなように勉強することができました。そのなかで、医局関連ではない色々な病院の先生方やスタッフ、また世界で活躍するピラティスインストラクター達との素晴らしい出会いがありました。また、子育て中は仕事よりも育児を優先させたかったので、子供関係の保護者同士の集まりにも積極的に関わりを持つようにしました。そのおかげで、医学部を卒業した後、病院と家を往復しているだけでは、絶対に作れない多職に及ぶ人間関係を作れたこと、そして、それぞれの立場の目線からの価値観やものの考え方を経験することが出来たことは、私の人生の宝です。
感動したこと:
医師として>まだ麻酔科で研修をし始めて 2 年目の頃、帝王切開の麻酔症例があったんですが、 なんとその患者さんは私が学生時代に家庭教師のアルバイトをしていたお家の娘さんでした。なんとなくお互いに緊張していました。でも麻酔が適切に効き、手術が始まり、痛みはもちろん吐き気もなく無事に赤ちゃんと対面することができた時、涙を流しながら「ありがとうございま す!先生のおかげです」と、まだひよっこ麻酔科医の私に言われたんです。外科医の先生の言葉を信じて麻酔科医になって本当によかった!と思いました。
ピラティスインストラクターとして>私と同じくらいの年齢の女性患者さんをペインクリニック外来で担当する機会がありました。その患者さんは、立て続けに、2回交通事故に遭遇したのちに、右肩の可動域が極端に低下し、何をやっても痛みが取れず、大変困っておられました。外来の限られた狭いスペースで、肩関節の動きにフォーカスしたピラティスを継続しているうちに、 徐々に可動域が改善しました。自分でできなかった洗髪ができるようになり、患者さんから長い感謝のお手紙をいただいた時、自分のやっていることは間違いではないと確信できました。
母親として>成人した娘から「ママがお母さんで良かった。」という内容のテキストメッセージをもらった時。そして、息子が高校部活の卒部式のスピーチで「(日々の言い合いで)元気な母 を泣かせてしまい本当に申し訳なく思っています。恩返しができるよう頑張ります。」と言ってくれた時。これまでの、苦労が全て吹っ飛びました(笑)。
この業界の役割・使命、また今後の計画は
<役割、使命> 不良姿勢が原因の腰痛や肩こりは、糖尿病や動脈硬化と同じ「生活習慣病」です。私たちは、毎日の食事内容や消費カロリーに気を使うのと同じように、普段の姿勢に気を使う必要がありま す。それにより、腰痛や肩こりに悩まされない生活が送る事ができることを世の中全体の人が知らなければなりません。「ピラティス」は、元来リハビリにその起源をもち、理想的な姿勢や身体をコントロールして使いことを学ぶために最適のエクササイズです。今や、「ピラティス」は特別なものではありません。「ピラティス」が現在のリハビリやトレーニングの基礎となっていることを、医療従事者はもちろんのこと、世の中の全ての人が知る必要があります。そのために、私に出来ることは、リハビリや日々のエクササイズとしての「ピラティス」の認知度を高めることです。
<今後の計画> 市から委託を受けた地元のスポーツクラブで、ピラティスのグループレッスンを担当することになりました。これを機会に地域の子供達に早い段階から、理想的な姿勢と、なぜそれが必要なのか?を啓蒙して行きたいと思っています。個人的には、近々、プライベートスタジオを持つ予定です。
ターニングポイントと感じる出来事
<キャリアの点における出来事>
大学病院のペインクリニック外来で、運動器の難治性疼痛症例を担当する機会が多々ありました。いわゆる何をやっても改善しない腰痛や肩こりの患者さん達です。多くの方は手術を受け、それでも痛みが良くならないので、疼痛緩和のための神経ブロックを目的にペインクリニックへ紹介されてきます。数回の神経ブロックだけで良くなる人は残念ながら多くはなくブロック治療に依存的になり、痛みに囚われていくケースがかなりの割合で存在しました。本来は、患者さんを健康にし、社会復帰してもらうための治療が、逆に治療依存症の患者さんを作っているような気分になり、患者さんの希望するがままに神経ブロックを続けるだけの治療に疑問を持ちまし た。疼痛緩和の為に、リハビリが必要と知っていても、どのような運動が適しているのか、医師 として患者さんにはっきりとしたアドバイスが出来ずに悩んでいました。またその頃、バレエをしていた長女の怪我も重なり、「どうしたら、娘が大好きなバレエを諦めず続けていけるのか?」と色々な文献を調べていたところ、偶然バレリーナの草刈民代さんが出版された「からだ革命」という本に出逢ったのです。その本の中で、初めてPilatesというメソッドがこの世の中に存在することを知りました。でも、すでに欧米ではフィットネスはもちろんのこと、医療機関でのリハビリとしてPilatesが行われていることを知って、とてもショックを受けました。その時点で、日本は50年以上欧米に遅れを取っています。繰り返す故障、怪我、治らない痛みには、その理由が必ずあります。その根本的な問題を解決しないと、いつまでもその悪循環から抜け出すことはできません。「無知は罪である」とは、自分のためにある言葉なのではないか、と自責の念にかられました。なぜなら、医師が無知ならその被害を被るのは、紛れもなく患者さんだからです。 外来で患者さんに正しいことを指導しないといけない、そのためにはまず医師である自分が学ばないと・・・そう思ってPilatesスタジオに通い始め、インストラクターになるための勉強を始めました。
<物事の考え方におけるターニングポイント>
学生時代、始めて1人で海外旅行としてカナダへ1人で行った時、なんでも自分の意見を率直に 言ってしまう自分が、日本で同世代の友達とうまくいかないことについて、現地の大学生と話す機会がありました。その時、学生の中の1人が、「自分の意見を言わないことは、マイナスポイントだね。日本では、そんな女性がウケるの?こっちでは、どんどんと発言する女性が魅力的だよ。」と言ってくれたこと。そして、満場一致だったこと。その後、帰国してからは、周囲のことにあまり興味がなくなり、人付き合いがとても楽になりました。
緩和医療を学んでいた時、「サイモントン療法」の研修初日で配布されたテキストに書かれれあった文章を読んだ時。それには「人間は幸せになるためにこの世に生まれてきました。人が、敢えて心身ともに辛く、しんどい道を選ぶ時は、その先には必ず、これを乗り越えたら自分自身が幸福と感じることができる出来事が待っている時のみです。」「自分自身の幸福感なしには、人を本当に思いやることは不可能です。人を心から思いやり、幸せを分かち合い、良好な関係性を築くためには、他人のことはさておき、まず自分自身が幸福と感じることを優先しましょう」と書いてありました。その時、自分の趣味や好きだったことを全て諦めてしまっていた自分に気づきました。「まず、自分が休むことを自分に許すこと、自分に微笑むこと」緩和ケア病棟の患者さんにも、余裕を持って接することができるようになりました。
望む業界の未来
WHO憲章では、「健康とは、身体的および肉体的、そして社会的にも満たされた状態であり、単に病気でないとか、病弱が存在しないということではない。」と定義されています。私は、一 人一人個人が自ら責任を持って、心身ともに良好な状態を保つよう努力することが、個々の幸福感と自信につながり、それが社会全体の「健康」に発展すると信じています。 そのためには、それぞれが、今何も疑問を持たずに送っているライフスタイルを問題視すること、見直して考えること、そして、我々はその教育の一端を担うことが望まれます。問題に対する解決策の正解を導くことではなく、問題そのものを探し出すことが、これからの教育に必要な要素です。
仕事以外の時間の過ごし方
季節や天候によっては少し違いますが、琵琶湖ではウインドサーフィンかSUPを。海ではパドルサーフィンやロングボードを練習しています。ピラティスやヨガはすでに日課となっていますね。約 1 年前から、歳を取っても室内でできるアクティビティとしてフラダンスとタヒチアンダンスを始めました!
人をみるとは
人は、その人の経験から成っています。経験は、これまでの育った環境、受けた教育、家庭環境、交友関係や生活環境など人によって様々です。だから、家族といえども、1人として同じ人間がいないのは当然です。自分の前に現れた患者さんが、なぜそのような状態になっているのか?なぜそのような考えを持つのか?・・・・残念ながら、その理由となる、その人のこれまでの経験は変えることができません。でも興味を持ち聴くことはできます。それを否定せず、リスペクトすること、そして解決策を出すのではなく、問題と思われる部分を一緒に探していくことが、私にとって「ヒトをミルこと」だと思います。